塩は白い

塩をこぼした。

白い粒が隙間に入り、濡れた指にくっついた。

少し舐める。苦い。

塩は自然のものだから安心だと思う人がいる。海にある。昔から人が食べている。白くて、台所に置いてあって、母親も祖母も使っていた。危険な顔をしていない。

だが、塩を一瓶飲む人はいない。

水も自然である。水がなければ死ぬ。飲み過ぎても困る。太陽も自然である。暖かいが、浴び続ければ皮膚が焼ける。自然は、人間の健康を守るために存在しているわけではない。人間の側が勝手に、自然を母親のように想像しているだけである。

反対に、化学式が見えると急に怖がる。塩を塩と呼べば食卓に置ける。だが、「塩化ナトリウム(NaCl)」と書かれると、急に実験室の匂いがしてくる。水を水と呼べば、何も気にならない。もし、「酸化二水素(H₂O)」とだけ書かれていたら、少し距離を置く人もいるかもしれない。

名前で安全になるわけではない。名前で毒になるわけでもない。大麻も、その例外ではない。

「自然」と呼んでいるものも多くは人の手を経て暮らしの中へやって来る。自然も人と関わることで姿を変えてきた。

悪いことではない。そうやって共に生き抜いてきたのだから。

植物だから安全だと言い切るのも乱暴だし、化学物質が含まれているから危険だと決めるのも乱暴である。身体に入るものは、量、使い方、体質、状況で顔を変える。酒も薬も食べ物も、だいたい同じだ。少量なら助けになるものが、多ければ身体を壊す。毒と薬の境界は、棚に貼られたラベルほど太くない。

用量。用法。そして、バランス。

塩は白い。白いから無害なわけではない。白けりゃなんでも良いわけじゃない。それでも人は、見た目や名前や「昔からある」という安心を、舌より先に飲み込んでいる。

人間が欲しいのは、安全なのではなく、安心できる説明なのかもしれない。

人は、説明を食べて生きている。

自然だから安全。

化学だから危険。

そんな単純な話ではない。

私たちは今日も、見た目や名前や「昔からある」という安心を食べて生きている。