
以前、知り合いに誘われ、何の催しかよくわからないまま、タイのハーブ展へ連れて行かれたことがある。
タイでは、目的地へ着いてから目的を知ることがある。
会場の一角には、十種類ほどの薬草を紹介するパネルが並んでいた。
その中に、大麻もいた。
神棚に祀られているわけではない。鉄格子に囲われているわけでもない。ほかの薬草と同じ顔をして、しれっと並んでいた。
大麻だけを特別な植物として見てきた目には、その普通さがむしろ新鮮だった。日本で大麻という言葉を出せば、小さくなる声とは反対に話はすぐに大きくなる。
危険、犯罪、医療、合法化、陰謀、救済。賛成か、反対か。善か、悪か。
植物一株に、人間の思想が何十人分もぶら下がってくる。
だが、ハーブ展の大麻は何も主張していなかった。
ほかの薬草と同じように、そこにいた。
タイの伝統医学では、大麻は単独の万能薬としてではなく、複数の薬草を組み合わせる処方の一部として扱われてきた。
植物には役割がある。
だが、人間が期待するほど、主役になりたがってはいないのかもしれない。主役の邪魔をしないバイプレイヤー。
それでも救世主にされる。悪魔にされる。金儲けの看板にされる。政治の旗にされる。
大麻も忙しい。
本当は、薬草の列へ戻り、ほかの草と一緒に、しれっとしていたいだけなのかもしれない、、、なんて思いながら、珍しがって写真を撮った。
その普通さを見つけた途端、また大麻だけを特別扱いしちゃったりする、身に付いた大麻あるあるはなかなか治らない。
タイのハーブ展では、大麻がほかの薬草と同じ顔をして並んでいた。
救世主でも悪魔でもない。
薬草のひとつ。
大麻を特別な存在にし続けているのは、誰?

