【この街ができるまで②】パケット代を月10万円以上払っていた人が、数百人いました

こんにちは、たかしです。

前回は、「街で話題」というカテゴリ名を僕が付けた話を書きました。

今回は、そこに集まってきた人たちの話です。

ただその前に、どうやって人を集めたかを書かせてください。ここが、いちばんの肝だったので。

イトキオを立ち上げたのは、2000年12月8日です。正確にはこの日がプレオープンで、集客を始めたのは10日からでした。

掲示板って、公園と似ています。

公園を作っただけでは、誰も来ません。来る目的が必要です。

でも掲示板の場合、その目的にあたるものが「人」なんですよ。誰かが書いているから読みに来る。読みに来る人がいるから書き込む。

人がいないと人が来ない。人が来ないと人がいない。

鶏が先か卵が先か、というやつです。新しい場所を作るときに、必ずぶつかる壁です。

だから、最初にまとまった数の人を、一気に放り込む必要がありました。

僕には、ひとつだけ手札がありました。

当時、wapnaviというケータイサイトの検索エンジンを自分で運営していたんです。イトキオより半年早い、2000年5月に作ったものです。

これが、月に10万人くらいの人に使ってもらえるサイトになっていました。

自分でお客さんを送り込める場所を持っている、というのは強いです。他所に頭を下げなくていいし、いくらでも送れる。

12月10日から、wapnaviにイトキオのバナーを出しました。1日に4万回表示です。

ただ、これはタダではありません。自分の広告枠を使っているので、売っていれば入っていたはずのお金が消えています。当時の相場で計算すると、1日12万円分です。

最終的に、300万円くらいを突っ込んだ計算になりました。現金は1円も動いていませんが、それだけの枠を自分のサービスに使ったということです。

ただ、問題がありました。wapnaviはWAP、つまりEZweb向けだったんです。

iモードの人たちには、入り口をひとつも持っていませんでした。

そこで会いに行ったのが、渋谷マークシティにあったCAモバイルの小野裕史さんでした。2000年12月のことです。

サイバーエージェントの子会社の第1号社員で、創業を率いていた人です。当時からケータイのことにやけに詳しくて、先のことをちゃんと考えている人でした。

そして、ぱけおというメディアで、大々的にキャンペーンをやらせてくれたんです。ほとんどご好意でした。

年末までに4万クリック。これが起爆剤になって、iモードのユーザーが一気に増えました。

結果として、立ち上げ当初のユーザーの比率は、EZwebが6、iモードが4になりました。wapnaviから来たのが6割、小野さん経由が4割。入り口が完全に分かれていたので、そのまま比率になったわけです。

2001年ごろのイトキオの雰囲気(PC・ガラケー共の)イメージがインターネットアーカイブに奇跡的に残ってました。

ちなみにこの比率、長くは続きませんでした。その話は、また別の回に書きます。

イトキオは、絵文字が使える、ガラケーファーストの匿名掲示板でした。

今の人はまず知らないと思うんですが、当時の絵文字って、キャリアごとに全部バラバラだったんです。同じハートを送ったつもりでも、相手の機種では別のものになったり、そもそも表示されなかったりする。

だからイトキオでは、書き込まれた絵文字を、読む人の機種に合わせて変換していました。

そもそも当時、ケータイから書き込める無料の掲示板って、ほとんどなかったんです。コミュニティサービス自体はありましたが、たいてい公式サイトの有料サービスでした。

じゃあ2ちゃんねる本体はどうだったかというと、EZwebから見ると絵文字が化けて、事実上使い物になりません。

読むことはできる。でも、書けない。PCで誰かが書いたものを、ケータイで眺めるだけです。

イトキオは、ケータイから書き込めました。どのキャリアからでも。

そこが、決定的に違っていたんだと思います。

ちなみに小野さん、そのあとIVSを主催するベンチャーキャピタリストになって、17LIVEの社長までやったあと、今はインドで出家して僧侶になっています。

25年前、お互いまだ何者でもなかった頃の話です。

さて、人が集まったあとの話をします。

スレッド型の掲示板って、書き込みがあったスレッドが、いちばん上に上がってくる仕組みですよね。だから誰かが書くたびに、一覧の並び順が入れ替わります。

逆に言うと、誰も書かない時間帯は、並びが一切動きません。何度開いても、同じ画面が出てくる。

当時、1日に何十件も書き込む人たちのことを、僕はコアユーザーと呼んでいました。

この人たちが、どんな日でも最低500人から1000人くらいいました。

このくらいの数がいると、24時間、どこかで誰かが書いている状態になります。一覧が、止まらない。

僕がいちばん恐れていたのは、そこが止まることでした。

具体的には、午前3時から5時です。

この時間帯に画面が完全に静止すると、掲示板は死にます。開いた人が「誰もいない」と思って、二度と来なくなる。

なぜそこまで気にしていたのかは、この記事の最後に書きます。

ただ、結果から言うと、午前3時のイトキオは止まりませんでした。

「街で話題」は、眠らない場所になったんです。24時間、誰かが通っている通り道でした。

そして、そこが常にガヤガヤしている一方で、枝分かれした個別のカテゴリは、もう少しゆっくり話す場所になっていきました。役割が、自然に分かれていったんです。

さて、ここからが本題です。

こうして人が集まってきたわけですが、来た人たちが、想定とまるで違ったんです。

僕はずっと、ケータイでネットを使うコアユーザーは、女子大生や女子高生だと思っていました。

当時のiモードのCMは、広末涼子さんです。あの頃のケータイのイメージって、ああいうものでした。当然、女子高生が来ると思っていました。

メールを打って、着メロを落として、その延長線上でサイトを見る。そういう人たちが中心になるはずだと。

でも、掲示板に来る人は、違いました。

長距離トラックの運転手さん。

夜勤明けの看護師さん。深夜に働く専門職の方。

夜の仕事をしている人たちも、たくさんいました。キャバクラで働いている人、風俗の仕事をしている人。開店前の時間や、上がったあとの時間に書き込んでいる。

そして、今日では当たり前ですが、布団の中から書き込んでいる人たち。

変わったところでは、これは芸能人の卵としか思えないな、という書き込みをしている人もいました。本人が名乗ったわけではないので、本当のところは分かりません。ただ、書いている内容が、どう考えても普通の生活をしている人のものではなかった。

みんな、隙間時間に来るんです。手が空いた瞬間に、ケータイを開く。パソコンの前に座る生活をしていない人たちでした。

もうひとつ、別の層もいました。

既存のコミュニティに、うまく入れない人たちです。

学校や職場や近所に居場所がなくて、ここに来ていた。掲示板が、その人の唯一の社交場だった。

隙間時間の人と、行き場のない人。この2つが、イトキオの中心にいました。

そして、これは本当に驚いたんですが。

パケット定額制なんて、まだない時代です。使った分だけ、丸ごと請求が来ます。

そのパケット通信料を、毎月10万円以上払って書き込んでいる人が、数百人規模でいたんです。

10万円ですよ。

自分の作ったサービスに、そこまでして通ってくれている人が、それだけの数いる。

正直、嬉しかった。体がもつ限り、喜んで運営していました。

僕は今だからこそ言いますが、女子高生を集めるつもりで仕組みを作っていましたw

実際に集まったのは、トラックの運転手さんや、夜の店で働く人たちでした。

カテゴリの数も、並び順も、全部自分で決めました。検索エンジンからも、メールマガジンからも、狙った通りに人は来ました。

ただ、来たのが誰なのかだけは、最後まで選べませんでした。

さて、最後にもうひとつだけ、書かせてください。

当時の「街で話題」を開いたとき、最初にカーソルが当たるボタンが何だったか。

更新ボタンです。

一度もカーソルを動かさずに押せる位置に、僕がそこを選んで置きました。

1秒おきに押すと、並びが目まぐるしく変わります。あれもこれも上がってくる。さっき一番上だったやつが、もう三番目に落ちている。

掲示板って、黙って見ていると、ただの静止画なんですよ。何人いようが、画面は動かない。

でも更新ボタンを押すと、人がいるのが見えるんです。

ガヤガヤしている感じ。あれは、そうやって作りました。

ただし、あのボタンには弱点があります。

押しても並びが変わらなかったら、逆効果なんです。誰もいないことが、バレるだけなので。

つまりあれは、24時間ずっと誰かが書き込んでいないと、成立しません。

僕が午前3時をあれほど恐れていたのは、そういうことでした。

そして、その時間を埋めてくれたのが、呼んだつもりのなかった人たちです。夜勤明けの看護師さん。店を上がったあとの人。長距離を走っている運転手さん。

更新ボタンを押したときに画面が動く。あれを動かしていたのは、僕が置いたボタンじゃありませんでした。

同じ時間に、どこかで誰かが書いている。その事実のほうです。

次回からは、運営していて実際に何が起きたかを書こうと思います。サーバは落ちるし、荒らしも来る。そして僕は、誤字ります。

書きたいことが多いので、運営の話は何回かに分けることになりそうです。