大麻大麻王が、大麻哲学の監修を任された。

大麻哲学監修大麻大麻王。
文字にすると、だいぶ怪しい。
大麻が三回出てくる。「王」までいる。そこへ「哲学」が加わった。看板だけ見れば、そろそろ山奥で新しい思想でも始めそうだ。
それはともかく、縁あって、日本麻工房が運営するWebサイト群のひとつ「大麻哲学」に監修者として関わることになった。
監修。
便利な言葉である。名刺に書けば、少し賢そうにも見える。カテゴリダーすら恐れ多いのに大麻の哲学の監修。調子に乗ってサインも考えてみた。
だが、監修という肩書をあまり信用しないほうがいい。そもそもこちらは「王」を名乗っている人間である。
国土はなく、宮殿もなく、国民もいないし、税収もない。あるのは名前だけ。
それでも王は王なので、せめて疑う権利くらいは行使しようと思う。
今回のミッションは「大麻とは素晴らしい植物である」と判子を押す仕事ではない。反対に、「大麻とは危険なものである」と赤線を引く仕事でもない。
大麻の話になると、不思議なことが起きる。大麻の話になった途端、小さな声で「絶対危ない」「絶対安全」と言い切る。
「絶対」は便利な言葉だ。
「昔の日本人はみんな使っていた」
「禁止されたのは陰謀だ」
「医療にいい」
「脳が壊れる」
「天然だから安全」
「違法だから悪い」
それぞれ違う話なのに、語尾だけは妙によく似ている。断言である。
大麻について長く考えてきたつもりだが、考えれば考えるほど、簡単には断言できなくなった。
専門性が増したのか、単に臆病になったのか。たぶん両方だ。
でも、知らないことが見えてくるのは悪いことではない。地図を詳しくすると、空白地帯も見つかる。世界が広がったのではなく、今まで雑に塗りつぶしていただけかもしれない。
哲学というと、「存在とは何か」「善とは何か」を難しい顔で考えるものに見える。
大麻哲学の入口は、もっと身近でいい。
違法であることと、悪いことは同じなのか。昔から続いていれば伝統なのか。科学論文に書かれていれば、それで決着なのか。医療に使えるものなら、誰にとっても安全なのか。
答えを出す前に、問いの形を確かめる。
人間は、ときどき答えを先に持ち、あとから問いを作る。なかなか器用な技である。大麻大麻王もよくやる。だから他人を笑えない。
自分が信じたい話ほど、自分では疑いにくい。信じたい話に都合の良いことだけを引き寄せる。
大麻哲学を、正解を配る場所にはしたくない。持ち寄った答えをいったんテーブルに置いて、「これ、本当に自分の答えだろうか」と眺める場所にしたい。
考えてみれば、哲学を監修するという発想からして少しおかしい。問いに監督をつけてどうする。
まあいい。
王様だって国を持っていないのだ。哲学に監修者がいても、世界はそれほど困らないだろう。
持っていくのは、正解ではない。少しの知識と、疑問と、自分にも返ってくるブーメランくらいである。
ということで、「大麻哲学」は爆サイ向けにプレオープン中です。

