やがて、熱くなりすぎた街へ、冷たい風が吹いた。
2025年6月26日。
タイで新しい大麻規制が動き始めた。
大麻草のすべてが、再び麻薬へ戻ったわけではない。
管理が強められた中心は、花穂である。
研究、輸出、販売、商業目的の加工には許可がいる。
販売する側には、仕入れ先、用途、在庫などの記録と報告が求められる。
一般の利用者へ花穂を販売する場合は、医師、薬剤師、タイ伝統医療の専門職など、定められた専門家が医療目的で出す処方書が必要になった。
その量も、治療上必要な範囲で、最長30日分までとされた。少なくとも花穂については、「好きなら、どうぞ」と店頭で自由に渡す仕組みから、医療を軸に流通を管理する仕組みへ、ぐっと引き戻されたのである。
そして2026年8月に入っても、店舗への立入りは続いている。許可があるか。許可の条件を守っているか。無許可で販売していないか。違反が見つかれば、営業許可の停止や取消しに向けた手続きが進み、無許可店では花穂や巻いた製品が押収される。
だから、いまのタイを、「大麻が自由な国」と呼ぶのは、さすがに乱暴である。とは言っても、「全部、元に戻った」と言ってしまうのも違う。
一度、盛大にガラガラポンをした国だ。。箱をひっくり返して、畑も、店も、投資も、観光も、医療も、嗜好も、健康も、夢も、勘違いも、全部いったん床へぶちまけた。そして今になって、一個ずつ拾い直している。
これは医療。これは商売。これは駄目。これは条件つき。これは処方が必要。これは記録。これは許可。これは、、、まあ、たぶん大丈夫、、、、。まぁ、現在の免許更新までの3年間内の猶予やら地域差やら資本力の差やらなんやらもあり、撤退組とチャンス組としがみつき組の大混乱の中ではある。
国の制度は文章を書き換えれば変えられても、人間の生活は、そんなに簡単には書き換えられない。
畑は一文では消えない。借金も消えない。家賃も消えない。設備も消えない。雇った人の給料も消えない。そこで生きていた人の人生も消えない。
「今日からルールが変わりました」
国にとっては一行でも、生活している側にとっては、帳簿が何冊あっても足りない。
もちろん、国だけが人を登らせたわけではない。
政治が未来を語った。市場が儲け話を膨らませた。海外の報道が「新しい時代」を映した。観光客が自由を買いに来た。店主も、投資家も、よくわからないコンサルも、上を指さした。
怪しいんだか、怪しくなくなったんだか、怪しさを増しただけなんだかのおじさんもできるだけ堂々と少しずつ梯子を登っていた。
時代が自分へ追いついたと思っていた。
実際には、目の前に梯子が立ったので、うれしくなっちゃって登っただけかもしれないんだけど。
それでも、あの時、梯子は確かに立っていた。
登れ。もっと登れ。産業になるぞ。未来があるぞ。世界から人が来るぞ。投資しろ。店を出せ。畑を作れ。設備を入れろ、、、。では、梯子を外します。落ちないように気をつけてください。マイペンライ、、、。
もっとも、規制する側にも理由はある。未成年者への影響もある。品質のばらつきは酷い。広告の氾濫や公共の場所での煙や匂いの問題もある。
医療と嗜好の境目が、看板より小さな字でしか書かれていなかったこと。熱くなりすぎた街を、どこかで冷やす必要はあった。
規制を全部悪者にすれば、話は簡単である。だが、簡単な話ほど、床に落ちた人間を見えなくする。
誰かにとっての自由は、誰かにとっての混乱だ。誰かにとっての規制は、誰かにとっての安心だ。そして別の誰かにとっては、さんざん登らされたあとで、梯子を外されることだった。
私はときどき、タイのハーブ展で肩と首へ塗られたクリームを思い出す。塗った瞬間、カーッと熱くなる。そのあと、スーッと冷たくなる。
熱い。冷たい。緩んだ。締まった。どっちなんだ。答えは、たぶん、どちらもである。
自由にしたかと思えば、管理する。開いたかと思えば、閉める。タイの大麻をめぐる数年間は、あのクリームによく似ている。
熱いのか。冷たいのか。自由なのか。規制されているのか。合法なのか。違法なのか、、。
一つに決めようとすると、必ず反対側から別の感覚が走ってくる。私は、こういう時、二択そのものを疑う。
自由か規制か。合法か違法か。成功か失敗か。現実は、そんなきれいな箱には入ってくれない。
むしろ、その間で揺れている場所にこそ、人間の生活がある。
政策がある。欲望がある。商売がある。健康がある。失敗がある。そして、少しの希望もある。
閉まった店に、緑の看板だけが残っている。ガラス越しに覗けば、薄暗い店内に、空になった棚が並んでいる。ほんの少し前まで、そこには「新しい時代」が並べられていた。今は、夢の跡だけが残る。
肩には、あのハーブクリームの感覚。
カーッと熱い。そのあと、スーッと冷たい。結局、熱いのか冷たいのか、よくわからない。
自由なのか、規制なのか。
それも、きれいには決められない。
何しろ、ここはタイだから。
そう言って笑って済ませたいところだが、これはタイだけの話でもない。
政策が熱をつくり、市場が熱を増幅し、熱くなりすぎれば、今度は制度が急いで冷やす。
世界中で、何度も見てきた光景である。
政策は、「方針を修正した」の一文で変えられる。だが、畑は一文では消えない。借金も、設備も、そこで働いていた人の生活も消えない。梯子を外すなら、せめて、まだそこに人がいることだけは忘れないでほしい。
マイペンライ。
……いや、そこはマイペンライではない。
2022年、制度が梯子を立てた。未来がある。産業になる。世界から人が来る。多くの人が登った。2025年、花穂の流通は医療を軸に仕切り直された。規制には理由がある。
だが、政策は一文で変えられても、畑も借金も設備も、人の生活も一文では消えない。


