大麻クリームを塗られたあと、固まっていた肩と首が、ふっと軽くなったような気がした。
大麻が効いたのか。
一緒に入っていた別の薬草が効いたのか、塗り込んだ人の指が効いたのか。それとも、「タイのハーブ展で大麻クリームを塗られている」という状況に、頭が勝手に納得したのか、最後まで、わからなかった。
何が効いたのかわからない。それどころか、そもそも、本当に効いたのかもわからない。
「それは気のせいだ」
そう言われれば、そうかもしれない。
だが、気のせいで身体が少し楽になるなら、気のせいもなかなか大したもんだ。
私たちは、成分だけで生きているわけではない。
手で触れられたこと、薬草の香り、会場の熱気、異国にいる高揚、効くかもしれない、大麻かもしれないという期待、少し休んだ時間。
それらが入り混じり、身体は何らかの答えを出す。薬の作用と、期待による変化を、きれいに切り分けたい気持ちはわかる。医学には必要なことでもある。
だが、日常の身体は実験室ほど几帳面ではない。。
寝不足やら食事やら不安やら誰と一緒にいるとか、その日の機嫌やらなんやら。それらを全部抱えたまま、薬も草も言葉も受け取っている。
パッケージに大麻の葉っぱが描かれていると、人は大麻だけを見てしまう。
効けば、大麻のおかげ。効かなければ、大麻なんだけど。
だが、本当は一つの成分だけが、身体の中へ入ってくるわけではない。状況まで一緒に入ってくる。あの日、何が効いたのかは今もわからない。わからないまま、少し楽になった。
身体というものは、科学で確かめる必要があるほど複雑であり、科学だけを唱えていれば全部わかるほど単純でもない。
気のせいだったのかもしれない。
だからといって、何も起きなかったことにはならない。


