
人は、
いろいろなものを掛け違える。
言葉。
感覚。
想い。
距離。
そして、
時間。
同じ言葉でも、
昨日なら笑えた。
今日なら傷つく。
十年後なら、
懐かしく笑い合えるかもしれない。
違っていたのは、
言葉ではない。
時間だった。
人生は、
時計だけでは進まない。
心には、
心の時計がある。
身体には、
身体の時計がある。
夢にも、
それぞれの時計がある。
誰かは先へ進み、
誰かは立ち止まり、
誰かは、
まだ昨日を歩いている。
その時計が少し違うだけで、
人は驚くほど、
すれ違う。
脳では分かっている。
それなのに、
口は違う言葉を選んでしまう。
ほんの数秒。
ほんの数日。
ほんの数年。
そのわずかなズレが、
その後の人生になることもある。
掛け違えた時間は、
戻せるのだろうか。
たぶん、
戻せない。
時計は、
昨日を指さない。
針は、
願いでは動かない。
だから人は、
振り返る。
「あの時。」
その短い一言の中に、
言えなかった言葉も、
会えなかった人も、
選ばなかった道も、
あの日のまま残っている。
それでも。
昨日は閉じても、
今日は開いている。
草は、
春を急がない。
大麻も、
季節が来れば芽吹く。
風を受け、
雨を受け、
陽を浴びながら、
静かに、
自分の季節を迎える。
ふとしたことで意識は変わる。
人だけが、
昨日を抱え、
明日を急ぎ、
今日を置き忘れる。
それでも人は、
ときどき過去へ帰り、
未来を迎えに行く。
迷いながら。
掛け違えながら。
遠回りしながら。
少しずつ、
自分という人間になっていく。
人は、
それぞれ違う速度で成熟する。
早すぎる出会いもある。
遅すぎる別れもある。
言葉が早すぎた日。
想いが遅すぎた日。
そのすべてが、
その人だけの時間になる。
掛け違えた時間は戻らない。
でも、
掛け直すことはできる。
時計の針ではなく、
自分の歩幅で。
今日という時間の中で。
そして明日もまた、
人は、
それぞれの時計を持ち、
それぞれの時間を生きている。
誰かと比べなくてもいい。
大丈夫。
自分の季節は、
ちゃんとやって来る。
